yamamotosinyaの日記

仕事を離れて、ライフスライスな記憶として………

 飴や人参の価値は不変ではないでしょう

他人をコントロールするノウハウというか、管理者の心得的なものとして「飴と鞭」だの「人参をぶら下げる」といったことわざがありますが、その基本的な普遍性はあるとして、「飴」や「人参」の具体的な内容は時代や相手によって変わってくるもの。

 

つまり上が”人参”に持っている価値観と、下の価値化が大きく異なると、”人参”のミスマッチ的な状況に陥って、双方が不幸になるのでは、という印象を受けることもしばしばな最近です。

 

たとえば企業的なシーンにおいて。

『ここで頑張れば出世できるから無理すべし』といった人参をぶら下げたとしても出世や昇給に対する価値が、その場における無理な行為よりも小さければ、人参にはなり得ません。

 

世の中には、鞭がご褒美になる性癖のひともいるという特殊な話ではなく、世代であったり、環境であったりという違いから”人参”に相当するものは、どんどん変わっているのだろうなということ。

 

「いまどきの若者は……」という表現は古代ローマの時代から使われているという話もありますが、ようは人参であったり飴であったりという価値観の変化やズレが、上の世代には理解できず、「せっかく人参をぶら下げたのに、反応しないなんておかしい」と感じたことに由来する部分もあるのでは? 現代でいえば、草食系なんていう表現もありますが、それも”人参”に対する価値観の変化を示しているのに過ぎないのではないかと思う部分もアリ。

 

そうした変化は世代や環境だけでなく、また個人においても成長や加齢によって変化するものなのか、それとも「三つ子の魂百」までなのか……。

 

個人的には、ワークライフバランスという言葉からイメージされる、仕事だけに注力しない、もろもろ無理をしない生活にシフトした部分もあるので、時代や環境によって個人の変化もあるとは感じている日々ですが、いかが?