yamamotosinyaの日記

仕事を離れて、ライフスライスな記憶として………

バブルとは、不安ない時代だったのか。

 

といったことを先日つぶやいていたので、もう少しばかり掘り下げてみよう、かと。

 

自分の場合、高校を卒業したのが1987年、大学を出て就職したのが1992年(ん、5年かかっている?)ので、学生時代をバブル経済期の恩恵を受けて過ごしたわけですが、正直バブル経済といっても、学生レベルでは恩恵といえるほどではなかったのも事実。たしかに時給四桁のアルバイトは普通にありましたし、金銭的には数字上では恵まれていましたが、世の中が好景気に湧いているとデフレ圧力がないので、なにをするにもお金のかかる時代でもありました。流行しはじめていたカラオケボックスも一曲いくらという設定で、ちょっと楽しむとけっこうなお値段だったような記憶もおぼろげながらありますし。

 

パソコンも買おうと思うとウン十万円で、ワープロ専用機を買うのが関の山という時代でもありました。もっとも、自動車については今よりも価格が安かったですから、買いやすい時代だったのは間違いなく。大学生でマイカーを持っているなんていうのも珍しくはなかったのは、やはりバブルだったのだなあと思う部分でもありますが。

 

といった具合に、個別の商品でいえば体感的な価格の上下はあるものの、バブル経済期というのは、給料も高ければ、商品も高い。つまり収支でいえばトントンな時代だったという印象。だからお金が残ったわけではありません。

バブル経済というのは、どこかレバレッジをかけた、実態からかけ離れた数字あそびみたいな悪い印象も受ける言葉なわけですが、体感としてはすべてが高かった時代、すべてに下駄をはかせていた時代と整理できそう。下駄を履いているから不安定で転びやすい時代といいたいわけではありませんが(苦笑)

もちろん、あの時期に蓄財した方もいらっしゃるでしょう。しかし、大多数は株価下落で結果的に資産を失ったのでは?

 

閑話休題

 

結局のところバブル期というのは浪費していただけではないか、と指摘されれば、まったくもってその通りで。 しかし、それを浪費と思わず、正当な消費というか、普通の行為として認めるムードもあったわけです(どの時代でも”全員”ということはないので、自分はそうではなかったという反論もありましょうが)

 

浪費を浪費と思わないことで、まさに「金は天下の回りもの」を実行できていた時代がバブル経済期のイメージ。そうしたお金を使うことへのネガティブ感の薄さや手元のお金がなくなることへの不安のなさは、明日になればもっとたくさん稼ぐことができる、いや「お金がどこからか降ってくる、湧いてくる」という根拠なき思いが安心感を生んでいたのかもしれません。

 

では、そうした思いがどこから生まれてきたのかといえば、やはりバブル経済という実態に下駄を履かせ、なおかつ成長しているように見えていた状況も大きいとは思うものの、実はその前から続いていた日本の経済成長そのものが背景にあったのではないかと思う次第。いわゆる戦後からの●●景気という流れで、右肩上がりであることを自然に考えるようになった世代と、その影響を受けた次世代という組み合わせでは、成長を実感できている限り、明日への不安よりも希望が大きくなっていたのでしょう。そのピークとして発生したのがバブルという現象だったのです、おそらく。

 

であれば、いまアベノミクス云々で少々ムードをアップしても、右肩上がりの成長を根拠なく信じるという体験のない世代にとっては、不安なくお金を使えるなどとはならないでしょう。だとすると、バブル的なムードというのは、あのバブル経済崩壊によって断ち切られてしまったわけで、もう二度とやってこないのか。

 

いや、この経済成長ムードが続けば、いま物心ついた世代は”根拠なき右肩上がり”を信じるようになるかもしれないので、ウン十年後にバブル的なムードは生まれるのかもしれませんが……。そのとき、バブル的なノリに苦言を呈する世代が存在するのも、また1980年代のバブル期にもあったことの再来かも。歴史は繰り返す、であります。