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yamamotosinyaの日記

仕事を離れて、ライフスライスな記憶として………

本質的に有料コンテンツは存在し得ない

世知辛い話ですが、なんらかのカタチで他人と関わるということは、金銭ほかの謝礼が存在しなくとも、いったんトラブルが起きれば責任を追求されるというのが昨今の風潮。すなわち、関わることにはデメリットが大きく、可能な限り関わらない状態で生きようとするのは、現代社会でのサバイブにおいては正しい選択なのかもしれないと思うところもあり、なるほどそうしたライフスタイルを選ぶひとも増えているような印象もあり。

さて、不特定多数と関わる可能性があるということは、それだけネガがあって、さほどメリットがないにも関わらず、ブログなどでの情報発信においては、そうした点がそれほど指摘されないのは不思議といえば不思議。いや、いまのリテラシーある世代はデメリットに気付いているのでしょう。訴訟リスクというのは大げさですが、クレーム回避のために曖昧な表現を多用するのは、リテラシーなのかもしれません。

はい、この「かもしれません」こそ、曖昧な表現ではあります。

 

閑話休題

ブログなどでの情報発信についても無料だからといって、免罪符になるわけではなく、発信者にはネガのリスクのほうが大きいという見方ができるわけ。それでも発信しようとするということは、なぜでしょう? 仮に、そこに金銭に換算できないメリットが存在するとしたら? 

すなわち、情報発信することが人間としての根源というか、本能的な部分で満足感を生み出すとしたら、そうした満足感や快楽的な感情を求めて、リスクを承知で、無料情報発信をしているとすれば、それこそ有料コンテンツの意義が見い出せないことにはなりはしないかと思うのであります。

そして、本能的な快楽を満たす情報発信でお金がとれるわけもないとして、逆にいえば、自発的ではないけれど、商品として成立するコンテンツだけが有料の価値があるのかもしれないとも思うわけです。

作り手の自発的意思ではない、それでいてクオリティの高いコンテンツ……広告が思い浮かぶところ。しかし、広告は見ていただくためにお金を払うというものであって、受け手からすると無料のコンテンツであることが基本。

広告的なコンテンツにおいてはクリエイターに対価が支払われるわけですから、作り手が無料製作をするというわけではありませんが、いわゆる有料コンテンツというのは、そもそも論としては消え行く運命なのかもしれない、などと思う今日このごろでありました。